第5回 --- 2025.12.11
ご支援くださる皆様へ(2025年:一年間のご報告とご支援のお願い)
(会員一同)
╋ 主の平和
いつもわたしたちセルヴィ・エヴァンジェリー宣教会の活動に、お祈りとご支援を賜り、ありがとうございます。多くの皆様に支えられていることを主に感謝し、いつも皆様のためにお祈りしています。
◆一年間のご報告
皆様もご存じのように、これまで20年にわたりわたしたちが宣教活動で青年たちを招き入れてきた建物は、耐震性について重大な懸念が指摘され、使用できなくなりました。
想定もしなかった事態にわたしたちは戸惑いましたが、多くの方々から新たな施設の建設に向けて助言をいただき、2024年のクリスマスに「セルヴィ・ハウス・プロジェクト」をスタートさせました。
2025年の1年間をとおして、本当に多くの方々がご協力くださり、それぞれ得意なスキルを活かしてさまざまなアイディアを寄せ合い、新たな取り組みを進めてきました。
いくつもの教会や学校でお許しをいただいてバザーに出店し、手づくり品やオリジナル商品を販売したり、チャリティ音楽会を開催するなどして、11月までに約270万円を集めることができました。
そして、お手紙でご支援をお願いしました皆様からのご寄付は、11月までに個人・団体合わせて約600万円にのぼりました。
皆様にわたしたちの感謝をどのような言葉でお伝えすればよいか、ふさわしい表現を見つけられません。お祈り、ご支援くださいました皆様には、ただただ心から深く感謝申し上げます。
まだまだ建設に必要な額には届きませんが、2年目に入るこの「セルヴィ・ハウス・プロジェクト」をひきつづき温かく見守り、お祈りとご支援を賜りますようお願いいたします。
◆これからのこと
この1年、集会スペースをご提供くださる方々のご厚意に支えられ、わたしたちはどうにか青年たちへの宣教活動を継続することができました。しかし一方で、わたしたちの望む家庭的な雰囲気をつくり出す難しさを感じています。一日も早く、共に祈り、食事をし、分かち合う青年たちのための家ができることを願っています。
今後も各種活動をとおして多くの方々にご理解を得られるよう、努力を続けてまいります。また、各会員もそれぞれの出身国を中心に、海外の教会に支援を求める計画をたてています。そして募金計画の進捗状況を含め、会の活動をニューズレターでご報告したいと考えています。
◆ご支援のお願い
ぜひ皆様には、ひきつづきわたしたちのため、お祈りとご支援をお願いいたします。
*みずほ銀行 四谷支店(036)普通3108172
「宗教法人カトリックイエズス会 セルヴィハウス建設募金」
*ゆうちょ銀行 店名(店番): 〇一九(ゼロイチキユウ)店(019)
預金種目: 当座
口座番号: 0267443
口座名称: カトリックイエズス会 (カトリックイエズスカイ)
★振替用紙(払込取扱票)でのご入金の場合は
口座記号・番号: 00110-6-267443
加 入 者 名 : カトリックイエズス会
*口座名義はイエズス会ですが、セルヴィ・ハウス・プロジェクト建設募金のため
に開設された専用口座です(イエズス会日本管区へのご送金はできません)。
最後になりましたが、ご降誕の主イエスの豊かな祝福が皆様のうえに豊かに注がれますように、お祈りしています。
セルヴィ・エヴァンジェリー会員一同
2025.12.11
第4回 --- 2025.11.20
新しく生まれるということ
(メンドザ・ハイメス・ダニー・ジャネット)
私はヴェネズエラから来たダニーと申します。宣教師としていろいろな国に住んでいました。コロンビア、チリ、アルゼンチン、スペイン、そして日本にいた最初の期間は2004年から2011年でした。2011年にアルゼンチンに派遣され、その後パンデミック後の3年前にやっと日本に戻り、現在に至ります。
私がこれまで住んだ国々の文化は、それぞれ少し異なっていましたが、多くの物事や習慣は似ていて、母国語であるスペイン語が話されていたため言葉を学ぶことはありませんでした。しかし、日本に着いてから、文化、習慣、そしてもちろん言語もすべてが違うと感じました。まるで子供のように、すべてをもう一度学び直さなければならなかったので、まるで新たな始まりのようでした。
宣教師としての生活において、学ぶことは常に何かがあるという点で、とても魅力的なものです。最初はコミュニケーションを取るのが難しかったのですが、話すことができなくても観察することで、日本の文化、人と接する際の優しさ、尊敬、規律などについて多くを学ぶことができました。
宣教師になってからずっと若者と関わる仕事をしています。一緒に祈りや聖書を学び、巡礼、遠足など様々なことをともにしながら、お互いに自分の居場所か、道を見つけられるようにもなりました。また、日本に来て初めて病院に勤めるようにもなりました。大変ですがとても良い体験をしています。わたしはまだ日本語が下手ですが、患者さんの話を一生懸命聴いています。本当に患者さんから学ぶことが沢山あります。信者の方も信者でない方も、病気を抱えている状況でシスターを見ると心が安らぐと聞くと、あらためて神様の呼びかけを感じます。私自身はほとんど何もできませんが、お話を聞きながら患者に神様の愛や温かさが伝わればいいなと願っています。そして神様がこの患者さんにどんな呼びかけをなさっているのか理解できるように導いてくださいとお祈りしています。
日本に来て以来、心に響いた聖書の言葉があります。ニコデモがイエスに『新しく生まれることはできるのでしょうか』と尋ねた箇所です(ヨハネ3章4節)。毎日新しいことを学び、出会う若者や大人の方々と分かち合う中で、新しく生まれることは確かに可能だと気づきました。私にとって、日本に来ることは生まれ変わるようなものです。まだまだ学ぶべきことが沢山あります。私達の人生は、出会うすべての人から学び続けることで成り立っており、それが私たちに新しく生まれ変わる可能性、そして新たな希望を持って毎日を始める可能性を与えてくれるのだと感じています。だからこそ、私は毎日出会う人々の命に対して、神に感謝しなければならないことが沢山あるのです。
2025.11.20
第3回 --- 2025.10.05
日韓青年交流会に参加しました
(西村 桃子)
2025年8月に韓国の大田(デジョン)でおこなわれた日韓青年交流会に参加しました。この交流会は、わたしたちの会が企画しているもので、2018年に始まりました。コロナ禍でのオンライン交流会も含め、今回で6回目です。今年のテーマは≪希望がわたしに問いかけた≫でした。
わたしが個人的に感じたことは、参加者は毎年異なっているのに、交流会で分かち合うことや体験が年々深まっている、ということです。それは、8月15日におこなわれた祈りの集いのときに、日本からの若者が≪希望≫について考えたことについて分かち合ってくれた時にも感じました。
そのときに彼女が分かち合ってくれたものを、皆さまにも共有させてください。本人の承諾も得ています。
「今回の日韓交流会では希望をテーマに、毎日個人的にお互いを知るだけでなく、お互いの国の歴史を相手国の立場に立ってさらに深く学ぶなど、本当にとても意味のある時間を過ごす活動をしてきました。
≪希望≫という言葉を聞いたとき、思い浮かべるのは、未来の明るさやワクワク、将来に対する安心感だと思います。
私が考える希望も、今この瞬間というよりは『未来』に目を向けたときに感じるものです。
希望とは未来に対する明るい見通しであり、私たちが困難を乗り越えるための大きな原動力にもなります。一方で、未来に対する不安から困難を乗り越える原動力を妨げることもあると思います。未来ばかりに目を向けていると、今に対する不安や焦りが大きくなってしまうこともあって、だから、より今に対して目を向け続けることが希望のある未来につながると思います。
私にとってこの日韓交流会は今の希望そのものでもありました。
お互いを理解しようと積極的に協力してくれる韓国と日本の皆さんと一緒に挑戦し、活動を進められている今が私にとって今ある希望だと感謝したいです。8月15日という、意味は異なるけれど両国にとってとても大きな意味をもつ日に祈りの集いで、集まって分かちあうことを大きな恵みだと実感しています。
また、この日韓交流会を通じて感じたことは本当の希望とは、嬉しいことや楽しいことを願うことだけではないということも感じました。
この交流会の中でも決してポジティブな題材だけでなく、韓国と日本双方にとって目を背けたくなるような暗い歴史やまだ解決していない問題について目を向け、現実を直視することを行いました。
日韓の関係について、過去のことも自分事として捉え、両国が両国の立場に立つことでポジティブなこともネガティブなことも全てを含めて分かち合うことで希望の第一歩を始めることが出来たと思います。
困難や試練に出会っても、『自分はきっと乗り越えられる』という確信や自信を持つことが、本当の希望を持ち続けるために必要だと思いました。
そしてその確信は、頭で考えて生まれるものだけではなく、困難を乗り越えたという実体験から確信に変わっていくと考えます。
そう思うことで、困難や辛いことに対しても意味のある必要なことだと思えば、より納得感を持って乗り越えられると思います。
『起こることすべては、自分にとって必要な出来事なのだ』と信じられるときに、本当の意味で強く、希望を持つことができるのだと思いました。」
彼女の分かち合いを通して、ローマの信徒への手紙5章3節から5節を思い出しました。
「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」
この希望のまなざしで、日々過ごしていくことができることを切に願っています。
[写真左] ⓒ María Langarica
[写真右] 独立記念館にて
2025.10.05
第2回 --- 2025.09.12
13年ぶんの感謝
(プオネツカ・アネタ)
こんにちは、
私の名前はプオネツカ・アネタです。
13年前に日本に来ました。日本語は何にも分からないまま来ました。
来日して3週間がたってから日本語学校に入学しました。
第一学期は本当に大変でした。赤ちゃんみたいで、先生たちの言葉をリピートしながらの毎日でした。
「たべる」、「いく」、「くる」、「かんたん」、「むずかしい」・・・
先生たちがお母さんのように、忍耐強く、毎日日本語を教えてくれました。
いつも日本語学校には感謝でいっぱいです。
1ヶ月、2ヶ月、半年がたって、少しずつ言葉が分かるようになって、言えるようになってきました。
日本語学校に通いながら、赤ちゃんから幼稚園生になって、今は13年がたったけれども、私はずっと小学生かな?という気持ちがあります。
私にとって、日本は言葉から始まって、新しいことが多かったです。
文化も、気候も、毎日の生活もポーランドと違うことが多かったです。
同時に、どこか魅力がありました。言葉にできない魅力だったと思います。
雰囲気か。静けさか。みんなの行動か。
電車の静けさ。行列の順番。神社で手合わせて祈る姿。
地震に対して冷静なリアクション。災害の後のみんなの力での片付けと助け合い。
目を合わせないけれど外国人に対して興味があること。
そんな風に一緒に生きながら、私もこの雰囲気の中に入っていったのだと思います。
一緒に電車を待つ、一緒におにぎりを食べる、
同じ汗をかく、同じ雨に降られる、同じ教会で祈る。
最近は「私は何人か?」というのが、もう分からないくらいです。
一応、パスポートはポーランドです。
目の色、髪の毛の色は日本人と違います。
心には色がないのですが、気持ちがいっぱいあります。
私の家は日本です。私の居場所はここです。
今まで出会った人たちに感謝します。
私のことを受け入れてくれて感謝します。
遊びに入れてくれて感謝です。これからもよろしく!
2025.09.12
第1回 --- 2025.06.22
わたしにとっての宣教
(パウラ・レイスゴメス)
+ みなさん、主の平和!
わたしは、ポルトガルからの宣教師です。
1991年9月2日、東京に到着しました。
それ以来、日本で暮らして34年になります。
日本に来たばかりの頃のわたしは、戸惑っていました。
わたしたちの会はその前年に日本にきたばかりで、
病院や学校などの事業体を持っているわけではありません。
当時、わたしはまだ日本語もできなかったのですが、
先輩の宣教師たちが日本語を話していて、家にはいろいろなお客様が出入りしていました。
その頃のわたしの役割は、お茶を出すこと。
そのような日々を過ごしながら、すこしずつ「宣教」の意味が見えてきたように思います。
「宣教」とは人々の間に入っていくこと。
「宣教」とは、人々とかかわりにある、と思えるようになりました。
神さまは、ひとりひとりのなかにおられます――その人が信者であるかどうかにかかわらず。
わたしは、出会う人たちのなかにおられる神さまに出会っているのです。
人々のなかに神さまの愛、神さまの優しさを感じます。
わたしは心からそれを実感し、驚きの日々を過ごしてきました。
日本で過ごしている34年間は、人に与えるよりも、むしろ より多くを与えられたと思います。
神さまが日本人の優しさや、繊細さをとおして、わたしにご自身を示してくださった気がしています。
宣教とは、決して上から目線のものではなく、共に歩むことです。
最近でこそ教会で「シノダリティ」ということばが聞かれるようになりましたが、
まさに共に生きること、共に学び、互いに分かち合うことが、
わたしにとっての宣教だと思っています。
34年間を物語る写真がたくさんあります。とくに食事の写真が多いです。
祈りや遠足、巡礼・・・いろんな写真をもとに思い出をふりかえってみて、
どの時にも共通しているのは
一緒に生きること、
必要なときに、必要に応じて耳を傾けること、
必要に応じて、ひとことを贈ること。
「ともに歩むこと」がキーワードかもしれません。
わたしは日本に教えに来たのではなく、むしろ教わったことが多くあります。
わたしは日本に来て、人々のなかで神さまに出会っていると思います。
2025.06.22
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