第3回 --- 2025.10.05
日韓青年交流会に参加しました
(西村 桃子)
2025年8月に韓国の大田(デジョン)でおこなわれた日韓青年交流会に参加しました。この交流会は、わたしたちの会が企画しているもので、2018年に始まりました。コロナ禍でのオンライン交流会も含め、今回で6回目です。今年のテーマは≪希望がわたしに問いかけた≫でした。
わたしが個人的に感じたことは、参加者は毎年異なっているのに、交流会で分かち合うことや体験が年々深まっている、ということです。それは、8月15日におこなわれた祈りの集いのときに、日本からの若者が≪希望≫について考えたことについて分かち合ってくれた時にも感じました。
そのときに彼女が分かち合ってくれたものを、皆さまにも共有させてください。本人の承諾も得ています。
「今回の日韓交流会では希望をテーマに、毎日個人的にお互いを知るだけでなく、お互いの国の歴史を相手国の立場に立ってさらに深く学ぶなど、本当にとても意味のある時間を過ごす活動をしてきました。
≪希望≫という言葉を聞いたとき、思い浮かべるのは、未来の明るさやワクワク、将来に対する安心感だと思います。
私が考える希望も、今この瞬間というよりは『未来』に目を向けたときに感じるものです。
希望とは未来に対する明るい見通しであり、私たちが困難を乗り越えるための大きな原動力にもなります。一方で、未来に対する不安から困難を乗り越える原動力を妨げることもあると思います。未来ばかりに目を向けていると、今に対する不安や焦りが大きくなってしまうこともあって、だから、より今に対して目を向け続けることが希望のある未来につながると思います。
私にとってこの日韓交流会は今の希望そのものでもありました。
お互いを理解しようと積極的に協力してくれる韓国と日本の皆さんと一緒に挑戦し、活動を進められている今が私にとって今ある希望だと感謝したいです。8月15日という、意味は異なるけれど両国にとってとても大きな意味をもつ日に祈りの集いで、集まって分かちあうことを大きな恵みだと実感しています。
また、この日韓交流会を通じて感じたことは本当の希望とは、嬉しいことや楽しいことを願うことだけではないということも感じました。
この交流会の中でも決してポジティブな題材だけでなく、韓国と日本双方にとって目を背けたくなるような暗い歴史やまだ解決していない問題について目を向け、現実を直視することを行いました。
日韓の関係について、過去のことも自分事として捉え、両国が両国の立場に立つことでポジティブなこともネガティブなことも全てを含めて分かち合うことで希望の第一歩を始めることが出来たと思います。
困難や試練に出会っても、『自分はきっと乗り越えられる』という確信や自信を持つことが、本当の希望を持ち続けるために必要だと思いました。
そしてその確信は、頭で考えて生まれるものだけではなく、困難を乗り越えたという実体験から確信に変わっていくと考えます。
そう思うことで、困難や辛いことに対しても意味のある必要なことだと思えば、より納得感を持って乗り越えられると思います。
『起こることすべては、自分にとって必要な出来事なのだ』と信じられるときに、本当の意味で強く、希望を持つことができるのだと思いました。」
彼女の分かち合いを通して、ローマの信徒への手紙5章3節から5節を思い出しました。
「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」
この希望のまなざしで、日々過ごしていくことができることを切に願っています。
[写真左] ⓒ María Langarica
[写真右] 独立記念館にて
2025.10.05
第2回 --- 2025.09.12
13年ぶんの感謝
(プオネツカ・アネタ)
こんにちは、
私の名前はプオネツカ・アネタです。
13年前に日本に来ました。日本語は何にも分からないまま来ました。
来日して3週間がたってから日本語学校に入学しました。
第一学期は本当に大変でした。赤ちゃんみたいで、先生たちの言葉をリピートしながらの毎日でした。
「たべる」、「いく」、「くる」、「かんたん」、「むずかしい」・・・
先生たちがお母さんのように、忍耐強く、毎日日本語を教えてくれました。
いつも日本語学校には感謝でいっぱいです。
1ヶ月、2ヶ月、半年がたって、少しずつ言葉が分かるようになって、言えるようになってきました。
日本語学校に通いながら、赤ちゃんから幼稚園生になって、今は13年がたったけれども、私はずっと小学生かな?という気持ちがあります。
私にとって、日本は言葉から始まって、新しいことが多かったです。
文化も、気候も、毎日の生活もポーランドと違うことが多かったです。
同時に、どこか魅力がありました。言葉にできない魅力だったと思います。
雰囲気か。静けさか。みんなの行動か。
電車の静けさ。行列の順番。神社で手合わせて祈る姿。
地震に対して冷静なリアクション。災害の後のみんなの力での片付けと助け合い。
目を合わせないけれど外国人に対して興味があること。
そんな風に一緒に生きながら、私もこの雰囲気の中に入っていったのだと思います。
一緒に電車を待つ、一緒におにぎりを食べる、
同じ汗をかく、同じ雨に降られる、同じ教会で祈る。
最近は「私は何人か?」というのが、もう分からないくらいです。
一応、パスポートはポーランドです。
目の色、髪の毛の色は日本人と違います。
心には色がないのですが、気持ちがいっぱいあります。
私の家は日本です。私の居場所はここです。
今まで出会った人たちに感謝します。
私のことを受け入れてくれて感謝します。
遊びに入れてくれて感謝です。これからもよろしく!
2025.09.12
第1回 --- 2025.06.22
わたしにとっての宣教
(パウラ・レイスゴメス)
+ みなさん、主の平和!
わたしは、ポルトガルからの宣教師です。
1991年9月2日、東京に到着しました。
それ以来、日本で暮らして34年になります。
日本に来たばかりの頃のわたしは、戸惑っていました。
わたしたちの会はその前年に日本にきたばかりで、
病院や学校などの事業体を持っているわけではありません。
当時、わたしはまだ日本語もできなかったのですが、
先輩の宣教師たちが日本語を話していて、家にはいろいろなお客様が出入りしていました。
その頃のわたしの役割は、お茶を出すこと。
そのような日々を過ごしながら、すこしずつ「宣教」の意味が見えてきたように思います。
「宣教」とは人々の間に入っていくこと。
「宣教」とは、人々とかかわりにある、と思えるようになりました。
神さまは、ひとりひとりのなかにおられます――その人が信者であるかどうかにかかわらず。
わたしは、出会う人たちのなかにおられる神さまに出会っているのです。
人々のなかに神さまの愛、神さまの優しさを感じます。
わたしは心からそれを実感し、驚きの日々を過ごしてきました。
日本で過ごしている34年間は、人に与えるよりも、むしろ より多くを与えられたと思います。
神さまが日本人の優しさや、繊細さをとおして、わたしにご自身を示してくださった気がしています。
宣教とは、決して上から目線のものではなく、共に歩むことです。
最近でこそ教会で「シノダリティ」ということばが聞かれるようになりましたが、
まさに共に生きること、共に学び、互いに分かち合うことが、
わたしにとっての宣教だと思っています。
34年間を物語る写真がたくさんあります。とくに食事の写真が多いです。
祈りや遠足、巡礼・・・いろんな写真をもとに思い出をふりかえってみて、
どの時にも共通しているのは
一緒に生きること、
必要なときに、必要に応じて耳を傾けること、
必要に応じて、ひとことを贈ること。
「ともに歩むこと」がキーワードかもしれません。
わたしは日本に教えに来たのではなく、むしろ教わったことが多くあります。
わたしは日本に来て、人々のなかで神さまに出会っていると思います。
2025.06.22
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